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ショパンのワルツについて,3分間基礎知識であなたの頭脳をパワーアップ!
フレデリック フランソワ ショパンはワルツを生涯に 19曲書いたが,ショパンのワルツは作品の中でも特に優雅で気品に満ちていて,広く知られているショパンのワルツは,第 1番から第 8番までの生前に出版された 8曲と,第9番から第 13番の死後発見されて出版された作品番号付と作品番号のない第 14番の 14曲。
第 15番から第 19番は,ショパンの初期の習作で,演奏される機会は少なく,ワルツで一番難しいのが,1番の 『 華麗なる大円舞曲 - 変ホ長調 Op.18 - 』 で,次に 2番と 5番が比較的難しく,それ以外はツェルニー 30番程度の技量で十分弾け,9番の 『 別れのワルツ - 変イ長調 Op.69-1 - 』 は,ショパンのワルツ集の中でも多少難易度のバラツキはあるが演奏が容易で,中級程度の実力があれば演奏が可能。
ショパンは三拍子の舞曲を,ワルツ,マズルカ,ポロネーズと好んで書いているが,ワルツ集はショパンの作品の中では比較的演奏が容易な部類に入る。
一般にワルツというとヨハン シュトラウス 2世のウィーン風の 『 ウィンナワルツ 』 を想像するが,ショパンが活躍した頃は父親のシュトラウス 1世の時代で, 『 シュトラウス父子のワルツやポルカは,当時の最新ポップスだった。 』 ことを意識しておく必要があり,ショパンのワルツはウィンナワルツとは異なる。
一般に 『 ワルツ = ウィンナワルツ = シュトラウス 』 という連想で,ショパンのワルツを弾くときもシュトラウス風の大仰な表情付けをしてしまいがちなので注意が必要である。
ショパンは,19歳のときウィーンに演奏旅行に行き,繊細なニュアンスの優雅な演奏スタイルで名声を国外に広めたが,当時のウィーンで流行していた華麗な超絶技巧系の奏法やヨハン シュトラウスの優雅なウィンナ ワルツから程遠く,オーストリアがポーランドに対し敵対関係であったことなどで,ウィーンから拒絶され,ショパンはウィーンをあきらめフランスへと旅立った。
ショパンは,ポーランドを出国して再びウィーンに行き,ポーランド ロシア間の対立を快く思わないオーストリア人から思わぬ冷遇を受けたとき, 『 何故自分の独創的な芸術,演奏が受け入れられず,あれほど似たり寄ったりの陳腐な実用的舞曲がもてはやされるのか,ウィーンの聴衆の趣味のレベルを疑う。』 という内容の手記を残している。
ショパンのワルツは,『 1番 Op.18 』 ,『 2番 Op.34-1 』 ,『 4番 Op.34-3 』 ,『 5番 Op.42 』 ,『 14番遺作の 舞踏用の円舞曲 』 と 『 3番 Op.34-2 』 ,『 7番 Op.64-2 』 ,『 9番 Op.69-1 』 ,『 10番 Op.69-2 』 ,『 12番 Op.70-2 』 ,『 13番 Op.70-3 』 のワルツのリズムで自己の内面を表現した抒情詩の二つに大別することができ,それ以外は両者の中間的存在である。
ショパンのワルツは,ヨハン シュトラウスのワルツと異なり,舞曲としては実用に向かない独創的な作品ばかりで, 『 ショパンのワルツを舞踏用として用いるとしても,少なくとも相手の婦人の半分は伯爵夫人でなければならない。 』 とシューマンは言った。
ショパンのワルツは,抒情詩的色合いが濃く, 『 3番 Op.34-2 』 ,『 7番 Op.64-2 』 ,『 9番 Op.69-1 』 ,『 10番 Op.69-2 』 などは,ワルツと言うよりマズルカのリズムに近く,その哀愁に満ちた旋律が魅力である。
ショパンは,1830年の 7月革命直後の 9月にロシアの支配に対する反乱の気運がくすぶる祖国ポーランドを離れてパリに着き,ショパンは社交界での名声,音楽家としての成功,作家バルザックや画家ドラクロワなどの友人たちとの交流や病にあいながら生きたが,愛するポーランドへ戻ることはなかった。
パリにショパンの痕跡は多く,ショパンの最後の住居になったヴァンドーム広場,39歳のショパンの葬儀が行われたマドレーヌ寺院などでは,ショパン自身の 『 ソナタ 』 やモーツァルトの 『 レクイエム 』 が演奏された。
ショパンの人生で最も大きな影響を与えたのは,フランスの女流作家のジョルジュ サンドで,マリア ヴォンジスカと婚約していたショパンは,葉巻を吸い,男物の外套と身にまとい,ズボンをはく,風変わりなジョルジュ サンドを, 『 本当にあれが女か? 』 と言ったというが,1837年にショパンとマリアの婚約は解消され,サンドがショパンの心を占めるようになった。
ショパンは,フランスのプレイエル社のピアノを愛し,最初のコンサートを行ったのがカデ通りにあったプレイエル社のサロンで,その場にいたメンデルスゾーンやリストとは,その後も親しく付き合い,その後造られた 『 サル プレイエル 』 ホールが,人生の半分をフランスで過ごしたショパン最後のコンサート会場となった。
サンドの飼っていた小犬が自分のしっぽを追いかけてくるくる回る癖をもっていて,それをピアノで表現して欲しいというサンドの頼みで作曲されたワルツで,海外では 『 1分ワルツ 』 とも呼ばれ,6番変ニ長調 Op.64-1 『 小犬のワルツ 』 の中間部の優美さはピアノの詩人ショパンの音の世界である。